2014年3月11日火曜日

3年に寄せて

3年前の今日は、工房で仕事をしていて、
地震に気が付いていなかったと思います。





その後、ネットで三陸沖が大変なことになっている、
という情報が出だしたあとも、いまいちぴんと来なかったことを
覚えています。





14歳で阪神大震災を経験して、
多感なころに自分の力ではどうしようもない天災を
経験したことは、良くも悪くも今の私の価値観に大きな影響を
残しました。





だからなのかどうなのか、
東日本大震災のことは、当時、考えることすら出来ませんでした。





考えようとしても、一つの事柄に対して良いのか悪いのか、
いろんな声が聞こえてきても、自分はそれに対してどう思うのか、
考えることもできず、それが考える必要のあることなのかの取捨選択すら出来ませんでした。
考え方によって答えが変わる、大きな、大きすぎる物事に、向き合うことが
とてもできませんでした。
取捨選択ができないものですから、それに関することほとんど全てに、
耳を閉じました。





震災当時も、2年前も、1年前も、こんな風に震災に触れて書くことも
出来ませんでした。






今も、がんばろう東北、なんていう人には、誤解を恐れずに言うと、
共感はできません。





こういうことは簡単に間違いなく伝わるようになんて説明出来ないし、
そもそも、自分の思うことを過不足なく相手に伝えたい、というのも
半ば夢物語だということを私は知っています。




いろんなことをいろんな人が言うけれど、
借りてきた意見でなく、
せめて無い知恵しぼって、自分の頭で考えようと思います。
書きながら、胸のあたりがしくしく痛むようですが、
自分で考えて、自分なりにできることをして、
自分なりの付き合い方で、この災害の残したものと付き合い続けて
いきたいです。








小沢健二が子供の生まれた際に発表した文章についていた写真です。
わたしはこの写真に、すごく可能性を感じました。







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